世界三大古戦場の紹介

 

●ナポレオン戦争のワーテルロー(ベルギー)
●南北戦争のゲティズバーグ  (アメリカ)
●天下分け目の戦い関ケ原(日本:関ケ原町)

 

関ケ原町では、ベルギー王国の「ワーテルロー古戦場」とアメリカ合衆国の「ゲティスバーグ古戦場」と連携して「世界三大古戦場共同宣言」を行い、外国人観光客にも楽しんでいただける関ケ原をめざして活動しています。

 

■ワーテルローの戦い(1815年6月18日)

ライオンの丘ベルギーのワーテルロー近郊において、イギリス・プロイセン・オランダの連合軍とフランス軍との間で行われた一連の戦闘を指す名称。ナポレオン最後の戦い。この戦いで敗北したことでナポレオンの百日天下が終わり、革命戦争以来4半世紀に渡って続いた戦乱が終結した。 エルバ島を脱出し、皇帝へと返り咲いたナポレオンは『第7次対仏大同盟』の体制を整えられる前に先制攻撃を仕掛けるべく、フランス北東部の三カ国連合軍を攻撃する。しかし前哨戦のリニーの戦いで勝利を収めるも、その後ワーテルローの戦いで大敗。連合軍はフランスに侵入してブルボン王朝ルイ18世を復位させた。ナポレオンはセントヘレナ島へ抑留され、その後死去している。

 

■ゲティズバーグの戦い(1863年7月1〜3日)

ゲディスバーグ

アメリカ合衆国の南北戦  争において事実上の決戦となった戦い。商工業が盛んで奴隷制に反対する北部諸州と、奴隷制大農場を基盤とする南部が利害の対立から戦争へと発展。ゲティスバーグは南北戦争史上最大の激戦地となった。この戦いが転換点となり北軍が優勢になったといわれている。リンカーン大統領の「人民の、人民による、人民のための政治」の訳で有名なゲティスバーグ演説は、ゲティスバーグにある国立戦没者墓地の奉献式で行われた演説である。

 

■関ケ原の戦い(1600年10月21日)

関ケ原 開戦地慶長5年9月15日に岐阜県関ヶ原を主戦場として行われた野戦。徳川家康を総大将とする東軍と、毛利輝元を総大将とし石田三成を中心とする西軍である。東軍・西軍の諸将の多くは豊臣恩顧の武将であり、家康は豊臣家の家臣同士の成敗合戦(豊臣家に仇為す者を成敗する)という建前をとり、また豊臣家も表向きは静観の立場を取った。しかし、この戦いは実質的に徳川家康の覇権を決定づけることとなる。関ヶ原における決戦を中心に日本の全国各地で戦闘が行われたため、関ヶ原の合戦や天下分け目の戦いと呼ばれている。

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