当資料館について


ウォーランドは私設資料館です。

1964年(昭和39年)開館。ウォーランド前会長・谷口玉泉氏の父の遺言により建てられました。「ここは日本で一番有名な合戦地、関 ケ原。東西それぞれの思いがぶつかり合い、数多の命が失われた地。 それなのに弔いのための寺もなければ、自国の雄たちの動向を残し示す資料館さえない。 どちらもつくりなさい、必ずだ」この言葉をうけ、谷口玉泉氏はウォーランド資料館を建設したのです。資料館では有名な武将だけではなく、 地元住民からみた合戦の意味や苦労を実感をもって紹介しています。敷地は約30,000m²あり、屋外には関ヶ原の戦いを200 体以上の等身大コンクリート像で再現しています。これは、東軍・西軍の陣地を史実に基づいて再現し たものであり、旗や陣幕も当時と同じ方法で作成しています。遠目でみると映画の撮影風景にも見え、日本でも類をみない大規模の体感施設と して皆様にご愛顧いただいています。コンクリート像は、徳川家康、石田三成、大谷吉継、小 早川秀秋などの有名な武将から、足軽、鉄砲隊など無名の像も多く存在します。これらのコンクリート像は浅野祥雲氏が晩年に製作したものであり、リアルでありながらどこか ユーモラスな祥雲氏の造形特徴がよくでた傑作です。 屋内施設としては武具甲冑資料館があり、当時実際に使用されたとい う希少な甲冑、足軽たちが使った兜や身に着けていたお守りなども展示しており、より身近に当時を感じることができ ます。講和室では、関ヶ原合戦の内容や戦後処理などが詳しくパネル展示されています。館長の講話も無料で聞けますので、 ぜひご来館の際はご予約ください。当日ご希望の場合、できる限り対応いたしますが時間や混み具合によりお断りすることもあります。

稀代の造形師:浅野祥雲とは (別名:珍スポットの父!?)


徐々に注目されはじめている日本のコンクリート像作家。本名は、浅野高次郎。岐阜県恵那郡坂本村(現中津川市)出身。昭 和初期から40年代にかけて、無数のコンクリート人形を制作。2m近い像が数十体、数百体と林立する施設も数々あり、等身大ジオラマパークという独特の作風を確立しました。父親は農業の傍ら土人形を制作する職 人で、その影響で土人形制作を始めましたが、土では大きな作品がつくれないことからコンクリートでの作成を思いつきます。33歳の時、名 古屋に移住し、 映画館の看板を描いて生計を立てはじめました。等身大のコンクリートによる塑像という独特の制作スタイルを打ち立て、リアルでありながら 稚拙で ユーモラスな作風は一度見たら忘れられない強烈なインパクトを持っています。作品は中部地方を中心に現存していますが、広く関東地方や中国からも 制作実績があり、日本を代表するコンクリート作家です。

※一部では東海珍スポットの父、B級スポット定番の幻の造形師として有名

 とにかくカラフル、そしてデフォルトは優れているがユーモラスでどこか漫画チックな作風。


浅野祥雲作品とは

浅野祥雲氏の作品の価値を考えるとき、あるブログの記事を読み、なるほどと思ったことがあります。

その作品の多くはあまり有名ではない寺や歴史の浅い城、個人の霊場などに設置されています。決して由緒ある寺院や駅前に似合うものでも なく、旅館の庭に飾る類のものではありません。しかし、逆に芸術という付加価値をつけられ、保存のため見ることもできない仏像より何倍も 身近で親しい存在であるということです。民衆のものであった仏像が、ある日を境に文化財となり、拝むことも触ることもできなくなる、そん な心配とは無縁であるところに良さがあるのです。毎日の愚痴を言いながらついでに手をあわせていく近所の仏像や、笑いながら仲間と話のネ タにする、気が付いたらその像について話題が弾んでいる、長い時間話し込んでいた、そんな像を生み出したことに価値があるということで す。思わず突っ込みたくなるそのユーモアこそ祥雲氏の価値なのかもしれません。ちなみになんだかんだいっても等身大の像を作る、というの は非常に難しい作業です。特にコンクリートは細かい造形ができないのでブロンズ像や大理石の像のように芸術作品を作るには不向きです。逆 にコンクリートの特徴を最大限生かした祥雲氏の作品は、希少かつ優秀な作品といえるでしょう。

当館ではそんな作品を長く皆様に鑑賞していただけるよう、保管、展示をしていますので無理に手を触れたり登ったりされ ないようお願いしています。

コーナー紹介






















親子で遊べるゲーム

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